RIRILOG

オーストラリアでワーホリ後、飽きずにニュージーランドでもワーホリ中。

③カナーボンの散々な思い出。

どうみても怪しいやつ。

 

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新たにファームを変えて数日後、無事に旅行中の友達と合流して車を手に入れ、Woolworthで出会った日本人からシェアハウスを紹介してもらい何とか生活基盤が整い始めた時だった。

「トマト育たないから明日は休み!」

毎日収穫してもなくならなかったスクウォッシュも遂に終わりを迎えて次は何を収穫しようかと思ってた矢先だった。次はトマトの予定だったが全く育ってない。

というわけで育つまで待つことに、でもいつまで?

一日もムダにしたくない私は何とか仕事がないかと頼むと他のベトナム人が経営してるファームを紹介された。この一帯のベトナム人ファームの中では大きい所で行って見ると多くのベトナムやマレーシアから来たであろう人達が働いていた。カプシカムを育ててる所でまたもや腰にくる仕事だったけど選択肢はない。

腰が悲鳴をあげているがそれでも一ビン一杯にして行く。朝から晩まで働いて50ドル。普通にブドウピッキングの方がずっと楽だ。

この辺りからマーガレットリバーに帰りたくなる。友達と会うたびにマーガレットリバーでの日々を懐かしんでいた。キツくても稼げる仕事なら頑張ろうと思えるけどキツくて稼げない、ビザの日数もたまらない。

そう、この辺りで気づいてきたけどベトナム人のファーム、キャッシュジョブなのでセカンド目当てなら圧倒的にダメなところだ。

ビザのフォームすら書くのを嫌がられる、この年クイーンズランドでイチゴファームで大きな摘発あったのでそれも影響してか、ってかそういうイリーガルな事やってんのね。

 

そういう訳で私はここを早々に退散して新たにファームを探し始めた。

当時住んでいたシェアハウスには私を含め系8人、内5人はイタリア人、当然イタリア語が飛び交うのでイタリアかな、と錯覚する賑やかな家で、週5くらいで知らない人来るしリビングで椅子が飛び交う度が過ぎた悪ふざけが繰り返される家でした。

彼らもファーム探しで各々仕事を見つけており、何件かおススメのファームも教えてくれててた。

そんな時、シェアメイトの中国人の子がファームの情報をくれた。

何でも仕事を紹介してくれる人がいるそうだと。連絡先と住所教えてもらうと家から割と近所だった。家が街中にあるって事は農家ではない、何となく怪い気がしたがシェアメイトと共に行ってみることに。

出迎えたのは恰幅の良い男の人とその奥さんと思われる方、東南アジア系かポリネシアンかな?後から何人か人も出てきて庭先で話を聞くと主にワーホリや出稼ぎのアジア人に対して仕事を紹介してるそうだ。

どんな仕事が聞くと野菜や果物の収穫とパッキング。

何件かツテがあるそうで自分の紹介で働いていたワーホリの日本人とドイツ人子が最近ビザ取れたよと話していた。

普通に働けばビザは書いてあげる、と言っていたが何だか怪しさが拭えない。だって。

・3カ月しか滞在できない人達が3カ月超えて働いている。

・バレなきゃオッケーとそれを容認している。

・紹介してくれたファームのオーナーにベトナム人のファームも含まれている。

 

他にもどれくらい稼げるかでブドウを例に挙げてて、隣のシェアメイトはその金額に悪くないと喜んでましたがブドウのシーズンすでに終わってるんですけどね。

 

一通り話を聞いて帰りましたが怪しさ満点すぎてそこに連絡する事はありませんでした。

 

それと同時に日本人なら聞いたことある某トマトファームの連絡先を手に入れて電話してみたんですけど、何というか、一年ぶりにザ・日本の労働社会を思い出すような会話でした。他の人のブログ見る限り時給制なのでお金を稼ぐなら悪くない場所ですが、電話口でも高圧的、上から目線、「時給制だからそれ相応の働きをしてくれる奴しか雇わない」という言葉に雇って貰えるなら給料に見合った働きをします、頑張ります。と答えるが何回も聞かれる(聞いてるのかな?)あと、社会人経験を聞かれたのである程度日本社会で働いたことのある人しか雇わないんだろうな。

極め付けが働くなら彼が経営するシェアハウスに住まなければならないけど家賃が$150、オウンルームならまだしも4人部屋で150は高すぎる。家賃が高すぎる事を伝えると彼は家賃が高いのはそこからトイレットペーパーや洗剤などの共用品を買ってること、後は従業員の給料になってると言われた。

何故、自分が払った家賃が自分の給料になるのだ。意味がわからない、そこで私のお金循環させる必要性はないのでは?

この辺りからお互い合わない気がしてちょっと考えます。と電話を切った。

オーストラリア来てまでこんなに日本ルールを通すのも凄いけど、少なからず日本人ワーホリの受け皿になってるのでお互い成り立ってるのだろうかな。

 

その後はひたすらファームを回っては仕事がないか尋ねるがどこも人を雇うほどではない、又はまだ収穫の時期を迎えてないとの事だった。

途中、時給制のズッキーニのピッキングのトライアルに行ったけど仕事が遅い奴は雇えないと言われる。

当時、シェアメイトがトマトシェッドで働いていて、何度も何度も通って雇ってもらえたと聞いて、トマトはこれから忙しくなる所だったので毎日通っては雇ってもらえないかオーナーに会いに行っていた。「ウザいから一生来るな」と言われたがそれでも行っていた。

 

そしてある日、まだ行ったことのないファームをしらみつぶしに行っていたらクロアチア人のおばさんがこっちに来な、とそのままトラックの荷台に乗せられファームに連れていかれた。まさか働けるとは思ってなかったからスリッポンにパーカーと農業に適さない格好だけど御構い無しに農場に落とされた。

そこはまさかの豆ファーム。既に3人働いていて話を聞くと彼らも前日に働き始めたばかり、しかもマーガレットリバーから来そうで話が弾んだ。世間の狭さにびっくり。以前働いてたMrビーンの所と違って縦に豆が成長してる。つまり立ったり座ったりして豆を取らなきゃいけない。

既にカナーボンで働き始めて3週間が経とうとしていたが腰が本当につらい。

そのファームで働く人たちに聞くとTNFを聞かれたので一応悪くはないと所だろうと。だけど豆のレートが8キロで数ドルと気の遠くなる作業だった。

 

給料はクソだけど働けばその分ビザの日数は稼げる。

だけどそうまでして私はセカンドビザ欲しいのか?実際、その時は貯金を切り崩して生活しており、このまま働くにしても赤字だ。これならシティに行ってレストランとかで働いた方がずっとマシだ。

豆を収穫しながらずっとこの先どうするのか考え続けていた。

 

翌日、豆ファームに行くと昨日会った3人組はいなかった。そりゃ当然だよな、アホらしくなるよな。と思いつつ豆を収穫するけど進まない。腰が痛すぎる。

しゃがむのもキツイ、一人で豆を収穫することになって萎えてる。この先ビザが取れるかも分からない。

何のために頑張ってるんだろ。

そう思ったらもう豆なんて取る気はなくなった。

そんな時、マーガレットリバーに居る友人からメッセージが来た。

“プルーニング始まるって”

気づけば6月半ば、南はもう冬だ。そのメッセージを見た時、心は決まった。

マーガレットリバーに帰ろう。

こんな所で心をすり減らして働くよりも好きな街で暮らした方が良い。例えビザが取れなくても。

まだ昼だったがもうやってられないとそのまま車に戻って家に帰った。

後にも先にも仕事をバックれたのはこの時だけだ。

 

出て行く前に三度目の正直、というか十度目くらいの正直でトマトシェッドに行くと人が増えていた。私も毎日行っていたのに、いつの間に。オーナーに忙しい時期なら私を雇えばいいと話すと人は十分足りてるから必要ないと。面倒そうに遇らわれた。あぁ、自分は必要ないんだな、と思った。

ここまで来たら後は未練も何もない。シェアハウスを出て行くことをオーナーに伝えて荷物をまとめて私はカナーボンを出て行った。約一か月の短い期間だった。思い返せば最初からトラブルばかりだった。良い思い出が本当にない。写真を遡るとカナーボン滞在中のものがほぼない。ネタにしないとやってられない位悲惨な日々だったし仕事がないってこんなに辛いとは知らなかった。

 

1週間かけて来た道のりをだった一人の運転で2日でパースまで戻った。ストレスを発散するが如く酒を呑み、お菓子を食べ、マーガレットリバーに戻った。

寒いし雨も降ってるけどプルーニングは始まる。

早速エージェントに行って再登録をした。

結局、すぐには連絡が来ず1週間くらい待ったがその後週5日働けたのでビザが切れる1週間前には88日越えて、無事にセカンドビザを取ることができました。

 

時たまカナーボンの思い出を友達と振り返るとき、カナーボンを一言で言うなら「呪い」だよね、と。私だけでなく周りの友達も色々災難が重なったので最早呪いだと。ある人はカナーボンをPlace where dreams die、夢も希望もない日々だったのでぴったりですね。

 

人によっては稼げる街カナーボン、私にとっては呪われた街カナーボンでした。

 

これからカナーボンもシーズンが始まりますがどうか、気をつけてくださいね。