RIRILOG

オーストラリアでワーホリ後、飽きずにニュージーランドでもワーホリ中。

②カナーボンの散々な思い出。

 

彼女達の辞書にPatientはない。

 

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遂に始まったファーム探し。

私達は街から外れたファーム近いキャラバンパークに1週間泊まることにして、ファーム探しをする事に。マーガレットリバーから来たファーム仲間も何組か泊まっており久々の再会を喜んでた。

改めてファームの話を聞かせてもらうと基本的にカナーボンにはエージェントがいない、つまり一軒一軒回って仕事があるか聞かなきゃならない。その数100は超えるそう。そして、カナーボンという街は海辺にスーパーやら住宅街が広がっており、内陸の方にファームが広がっている。

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黒丸がファームが並ぶエリア。ピンは私が泊まってたキャラバンパーク、道順はカナーボン中心部からファームエリア入り口までの最短時間である。その距離約6km。自転車で18分、車だと6分くらい、徒歩なら余裕の1時間越え。それを踏まえて考えて欲しい。この黒丸の最深部に行くのにどれくらいの時間と労力を必要とするか。

 

ここで初めてカナーボンで生き抜くには車が必須という事に気がついた。

そしてもう一つ気になる事がキャッシュで払ってる所が意外とあるという事実。

キャッシュだと何がまずいのか、オーストラリアで働く以上、税金を払わなければならない。基本的に給料から引かれるわけだけどキャッシュだとそれが分からない、つまり脱税したいところは現金で給料を渡している。ペイスリップも貰えない。そんな所で働いて、いざ2ndビザ申請した時に政府から追加書類でペイスリップ見せてなんて聞かれたらどうしますか?仮にペイスリップあったとしても脱税してる事がバレるでしょう。そんな所で働いていた人にセカンドは降りないでしょう。

 

そして追い討ちをかけるように聞かされた一つのファームで雇われる人数。家族経営が多いが規模が大きいとその分たくさん雇うが1人や2人組みが良いだそうだ。そして今回私達は3人で回っていた。車は友人2人のもの。これは私、ヤバいのではと思いその日の内にGumtreeで車を探し始める。

 

そして始まるファーム探し1日目

友達からのアドバイスを参考にWoolworthにある掲示板に仕事を探しているという張り紙を貼る。ワーホリでセカンドの為に仕事探している事、ファームの経験、国籍、連絡先と名前を書いた。下は名前と連絡先を書いて千切って持っていけるようにしている。今改めて見ると酷い文書だけどこれくらい簡潔に書いた方が良いと思う。こんな感じの張り紙はたくさんあって、バックパッカーは集まって来てるんだなーと実感した。

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そして、朝の7時から以前知り合いが働いてセカンドが取れたファームや、野菜がよく育っている畑を訪れて仕事がないか訪ねて行った。だがことごとく断られたり、どう猛な番犬に追い回されたり、日が高くなるとファームのオーナーも働いているのでどこの畑にいるか分からなくなる。

中には親切にカナーボン周辺のファームを教えてくれる人も居たけど結局どこも人は足りてると断られて終わった。マーガレットリバーの方がだいぶマシだ!と愚痴り、1日目は終了した。

Gumtreeで売られてたワゴンを見つけたが連絡するとExmouthに住んでいると言われた。カナーボンから5時間程、なぜ住所をカナーボンにしてる。

私が車の詳細やテストドライブしたい旨を話すがカナーボンまで行きたくないと、車の写真やパスポートを身分証明書として見せるからそれで決めてくれと。もしも来て欲しいならガソリン代はそっち負担な、と言われて意味わからなさすぎて連絡するのを辞めた。

帰りに寄ったスーパーで新たに車が売り出されていたのでそちらに連絡を取ると快くテストドライブを承諾してくれ、翌日インスペに行く事にした。

 

まさかの2日目‥

昨日とは違うエリアのファームを朝から回る。仕事がないか聞くも門前払い、一応連絡先を教えておいたが希望はないだろう。そして昼ごろ、何の収穫もなく車内の空気は悪くなるばかり。ポジティブに行こうと励まし続けたがそれが限界を迎えた。

 

「この街ほんとクソすぎる」

「もう出て行こう!」

 

マジか、まだ2日目も終わってないのに。その場気まぐれと思ってみんな1週間は頑張れと言っていたよ、そして何かしらの仕事見つけてるじゃない。と説得を試みるももう彼女たちの心は決まっていた。本気でこの街出るつもりだ。

「明日にはカナーボンを出る、あなたははどうする?」

住所不定無職に突然降りかかる選択。

彼女達は1週間は程エクスマウスに遊びに行き、その後ファーム探し中に教えてもらったカナーボンから2時間ほどの所にある羊農家にアプライしてみると言っていた。働ける保証はまだ無い。

私はビザが切れるまで3ヶ月、日数も50日程必要だ。仕事がない今、こんな状況で遊びに行く余裕もなかった。一緒に付いていってもそこで絶対働ける保証がないなら1週間ここに残り仕事探した方が良いのではないか。でもテントも車もない、どこで寝ればいい。やっぱり付いて行くべきか、それともパースに帰ってしまおうか、ぐるぐると色んな考えが巡っていた。

あ、そうだインスペ。

昨日見つけた車を見に行くんだった。待ち合わせ場所まで行くと20代前半の女の子、バックパッカーで同じくファームを探している。カナーボンまで彼氏と来たけどお互い車持ってるから自分のを売って彼氏の車を使うそうだ。車はステーションワゴンで車内で寝れるように改造してある。キッキン用品も揃ってて車一つあれば問題なく過ごせるだろう。

ただ、値段だ。マーガレットリバーで思ったより稼げなかったし貯金もそこまでなかった私には3000ドルの車はかなりの痛い出費だった。

返事は保留にして考えていた時だった。一軒のメッセージか入った、マーガレットリバーで一緒に働いていた別の友達からだった。ブルームまでロードトリップ中でその後車を手放す予定なのだが良かったら買わないかという内容。

値段は1500ドル、迷わず買うと返事した。約1週間後にカナーボンに来るそうだ。それまでカナーボンに残って仕事探そうと決めた。

だが、その間はどこに寝泊まりしようか。街にバックパッカーがあると聞いていたがキャラバンパークのスタッフに聞いても知らないと、それよりも街の方に行ってしまえばファームから離れてしまう。今居るキャラバンパークなら歩いていける範囲内だ。一人でキャラバンパークに泊まるのは痛い出費だがここなら朝はファームで働いてる人に途中まで乗せてもらえるようにお願いできる。

寝袋は持ってる。あとはテントが必要だ。スタッフにテントを売ってるところを聞くと、古い中古でよければ売るよと言ってくれた。助かる、赤土で汚れていたけどこれで雨風は凌げる。

そんな訳で私だけカナーボンに残る事をほかのファーム仲間に話すと「彼女らPatientじゃないよね」と。

 

Patient=忍耐強い、我慢強い

 

確かに1週間かかるところを2日で止めたからね〜なんて思ってたらそれだけじゃなかった。

いつのまにかマーガレットリバーのファーム仲間達に何か仕事の情報教えてくれないかと聞きに行ってたらしい。しかも毎日。今は根気強くファーム回るしかないよ〜と皆が説明するにも関わらず連続で同じ質問してたらそりゃ大顰蹙だな。

 

今思い返してみれば彼女らも必死でファーム探してたわけだし一ミリも時間もお金も無駄にしたくないなら早々に見切りをつけて場所を移動するのは良い手だと思えるけど、当時は仕事見つからない、日本人ぼっち、飛び交う英語以外の言語によるストレスで頭が回らず別れる時も結構怒って文句言ったなぁ、でも結局その後も「元気〜?」と電話かかって来たり、帰国してからも時々メッセージのやり取りしてるのでファームで苦楽を共にした仲間って続くんだなーと思います。

 

別れの3日目、からの

その日は午前中にWoolworthに行った、当分の私の食料や日用品がいるでしょう?と連れて行ってくれた。歩いて30分の所にIGAがあるとはいえ頻繁には行けないので約1週間持つ食材を探しながら店内を歩いていると耳馴染みのある言語が聞こえて来た。

日本語だ、ワーホリの人かな?なんて思いながら既に足はその声の方に動いていた。この何もない田舎で生き残るには私は何も知らなさすぎる。あと、日本語で、喋りたい。

恐る恐る日本語で話しかけたら振り向いた。あぁ、日本人だ!それだけで安心した。彼らもワーホリでファーム探し中だと話していた。私はこの数日に起こった出来事とシェアハウスを探している事を伝え、もしも空いてる家があれば教えてほしいと連絡先を交換した。

 

そして別れの時、この時ストレスと怒りと虚しさとか不安で大分不安定だった私は号泣しながら別れたが彼女たちは私が寂しがって泣いてると思われてた。ちょっと違う。「この花見て元気出して私との思い出」とその辺にあったピンクの花渡されたが訳わからない。

凄く賑やかな人達でバッパーで暮らしてた時も一緒にご飯食べようと誘ってくれたのが始まりで、それから話すようになって、こうやって一緒に旅をして良い事も悪い事も共有できたのは良い経験だったなーと思えます、今ならね。この時はしばらく根に持ったけどね笑

ヨーロッパ行く時は絶対に会いに行きたいと思います。

 

そんな事で久しぶりに一人きりになり、お昼を食べてテントで一休みしていると外から私を呼ぶ声が。

隣に泊まってるイギリス人カップルの彼女の方とその友達、みんなマーガレットリバーからやって来たファーム仲間。彼女らも仕事は見つけたがキャッシュジョブだったので新しい仕事を探している最中だった。

「今日行ったファームが人集めてて明日から私達働くんだけど一緒に来ない?」

 

今何て言った?働ける?私も?

豆ファームでピッキングで時給か歩合制かも分からないがとにかく働ける。それだけで十分だ、「行く!!」

涙の別れから2時間、私はカナーボンにて仕事を手に入れた(完全なるおこぼれだけどね)

 

初出勤の4日目

朝の7時半にファームに着くように準備をして向かう。お昼はサンドイッチとフルーツを少し、水は十分に用意して、着いたのはファームエリアの端にあるベトナム人家族が経営してる豆ファーム、トマトも育てているが収穫はまだ先らしい。

仕事内容は簡単、ひたすら豆を取ってコンテナに詰めて行く。コンテナの数で給料は変わる。地面から生えてる豆を取るのでコンテナを椅子にして黙々と作業していく。

楽に見えるがずっと下を向くので腰にくる、しかも豆は小さくコンテナは大きい、8キロになるまで貯めなければならない。一本数10-100グラムの豆をいくつ取れば終わるんだという気の遠くなる作業だった。それも生活費とビザの為と続ける他なかった。

初日は日が暮れる寸前まで働いても50ドル稼げたかもわからない。でも収穫が終わるまでは仕事はあるので車が手に入るまでは頑張ろうと思った。

 

それから数日後

仕事にも慣れ始めたが予想以上に稼げない、これはどうしたものかと思っていた頃に知らない番号から電話がかかって来た。

凄く癖のある英語で、中国訛りに近いけどなんか違う。しかも屋外で話してるみたいで風の音が凄くて半分以上聞こえない。

何度か聞き直してみるとWoolworthに貼っていた紙を見て電話したそうだ。なんの作物を育ててるか聞くとトマトやズッキーニ、スクウォッシュと。スクウォッシュは分からないけどそれなら今からシーズンだし長く働けるのではと思い、そちらに移動しようと思った。まだ車はないけどオーナーが迎えに来てくれるそうなので通勤も暫くはお願いしよう。そう思った。

ファームを変える事をファーム仲間達に伝えると快く応援してくれた。一人、知らないファームに行くという事なので何かあったらすぐに電話するんだよ!と言ってくれた。イギリス人カップルの彼氏の方は「何かあったら銛と斧持って駆けつけるよ!」と、なんで持ってるの。

 

新しいファームは‥

朝、オーナーに迎えに来てもらい仕事に行く事に。

そして初対面、ベトナム人のおじさん。1人雇って農作業してたけどその人が国に帰ったので新しい人を探していたそうだ。

そう言っておじさんのファームに行ったがそこは私がファーム探しの時に回った場所だった。とっても目立つハンプティダンプティみたいなタンク。パッと見て廃墟だったので誰もいないと思ってたけどその廃墟に住んでたんだ。

仕事前にコーヒーでもと家の中に招き入れ、お茶を頂く。いつでも逃げる用意はして恐る恐る入る。

見た目は廃墟だけど最低限の物は有り、一応人は住めるようになっていた。なんとなく壁を見ると蚊を10倍大きくしたような羽虫がたくさん止まっていた。

キッチンもあるけど何となく引き出しや棚を開けたら何かが出てきそうな気がした。空き部屋があるからここに住み込みで働いて良いよ!ど言われたけど丁重にお断りした。

簡単におじさんの生い立ちを聞くと数十年前にベトナムからオーストラリアに移住、シドニーに住んでいたが妻子と分かれて単身カナーボンに、他のベトナム人経営のファームで働いていたが念願の自分の畑を手に入れて農家デビュー。そして今に至る。

まぁ、大変な人生を送っているな〜とは思うけどこちらをチラチラ見ながら「あー家事とか農作業手伝ってくれて一緒に住んでくれる奥さんほしーなぁー!」って言わないで、シドニーの奥さん呼びなよ。

そんなおじさんを適当にあしらい仕事に取り掛かることに、トマトもズッキーニも育ってないから今からスクウォッシュを収穫してね!と。そもそもスクウォッシュとは?

畑で確認すると子どもの拳サイズの黄色い瓜のような潰したカボチャのようなものだった。

これをひたすら収穫するのだが育つのが早いので一日でも収穫が遅れると売り物にならないらしい。なので見逃さないように収穫してね〜と言われ1人畑に残された。マジか。パッと見た限り50mくらいのレーンが20程。これを一人でやるのか。

あと、スクウォッシュって地面から生えた大きな葉っぱに隠れて実っている、その葉は小さなトゲもあってしゃがむ必要もあるからかなり腰にくるし手も痛い。

何にせよ手袋と長袖で来て正解だった。ダンボールの箱とトロリーを渡され、孤独なピッキングが始まった。

最初はとにかく手がチクチクするし暑さが堪らなかったけど一人なので大音量で音楽を流してのんびりと取っていた。

お昼ごろになるとおじさんが来てご飯を食べさせてくれた。ご飯付きは助かる。

そして午後もひたすら収穫して終わったのは日が暮れる時だった。すっかり真っ暗でみんな心配するかなーなんて思ったら案の定携帯見たら着信が何件か入ってた。

何事もなく仕事も終わってキャラバンパークに戻り、その日の事を話してたら豆ファームの話になった。

何でも給料を払うときのことで、タックスもスーパーも払ってくれないと。キャッシュしか受け付けないみたいな流れになってて話が違う!と揉めてるそうだ。

豆ファームのベトナム人、通称Mr.ビーンと私たちは呼んでいたが最終的に彼から給料をもらうことはなかった。

 

この辺りから少しずつカナーボンのブラックな所を見るようになった。